京都府は南北に長い。観光というと京都市が中心になりがちで、京都府に海があることさえご存じない方もおられるのは本当に残念です。
仕事で京都府北部の丹後半島を訪れると、自然景観の美しさに感動すら覚えます。京都にこんな素晴らしい地域があることを是非多くの皆さんに知っていただき、訪れていただきたいものです。
また、丹後地域には、弥生~古墳時代にかけての古墳が5,000以上も残されており、貴重な歴史的遺物も多く出土しています。平成6年に弥栄町(現京丹後市)の黒部銚子山古墳で「青龍三年鏡」が出土した時は、「卑称呼の鏡が出土した」と全国にも一躍名をはせました。「丹後王国論」や「羽衣伝説」などにロマンを感じるのは私だけではないでしょう。
歴史的にも興味深い丹後地域ですが、なんといってもこの地域のすばらしさは海岸線の美しさです。海沿いを巡る丹後半島一周道路からは、安山岩の柱状節理が経巻を並べたように見えることからその名がついたともいわれる「経ヶ岬」をはじめ、周囲が約1キロメートルもある玄武岩の岩塊「立岩(たていわ)」、日本海が迫る断崖上に柵状の田畑が広がる「筆石(ふでし)海岸段丘」、屏風を立てたような「屏風岩(びょうぶ)」、犬が寝そべっているように見える「
犬ケ岬」など、変化に富んだ美しい海岸地形をながめることができます。
丹後地域の伝統的地場産品である絹織物「丹後ちりめん」も、
このように美しくも厳しい風土と独特の歴史文化が育んできたもの。素晴らしい自然環境とともにしっかり守っていかねばなりません。
丹後地域には高速道路で京都からまっしぐら、と言いたいところですが、まだ一部つながっていないところがあります。現在、京都縦貫道の整備に力を注いでおり、平成26年には名神大山崎から京丹後市の大宮まで開通する予定です。
マイカーもいいですが、列車の旅もオススメです。京都駅からJRの特急列車に乗って約2時間で宮津。そこから第3セクターの近畿タンゴ鉄道に乗り換えます。2両編成のかわいらしい車両には女性のトレインアテンダントさんがいて、旅の案内など笑顔でおもてなしというのもうれしい。旅をしているな~という気分になれそうです。
列車を乗り継ぎ、バスに揺られて海岸道路を行く。心はすっかり「さすらいの旅人」というところですね。
「まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかくたこにしき…」
この数え歌は、京都に生まれ育った方なら、誰でも口ずさめるから凄いですね。
京都の街が、縦横碁盤の目になったのは平安京建都の折ですが、今の町割は太閤秀吉の手によるといわれています。以来、400年以上にわたって京都の暮らしは、通りを挟む向こう3軒と両隣が、ひとづきあい~絆~の基本単位となって、今に至っています。
「打ち水」や「門掃き」という京都ならではの習慣も、常日頃からご近所さんに心を配り、時には我慢もしながら、狭い空間の中で円満で持続可能な人間関係を保つためのコツ。 お隣さんといえども、出しゃばらず、立ち入らず…でもそっと支え合う、という智恵。
他人(ひと)さんに迷惑をかけることを嫌い、相手との距離感を常に計って暮らしている。 たとえどんなに親しい間柄であっても、そこには必ず心配りがなくてはならないのです。
そうしたお互いを律する緊張感と相手の受けとめを気にする日常の意識があってこそ、生活を少しでも美しくしようとする感性が磨かれ、京都の生活文化に華をそえるDNAとなって受け継がれてきたのではないでしょうか。
京都は行くにはいいけど、暮らすにはしんどうね。京都の人は何考えたはるか、ようわからへんから…と、同じ関西の人からもよく言われることですが、そうではないのです。 こうした向こう三軒両隣の習慣をちょっとわきまえて京都の懐に入れば、その奥の深さにきっと出会えるはずです。
今も昔も、夢と志のある者を守り育ててきたのが、京都の誇りでもあります。
信頼や絆…「日本人のわすれもの」さがし。
そのきっかけは、きっと京都の暮らしの智恵の中にみつけることができると思います。

「打ち水」は、京都らしいエコな暮らしぶりでも・・・
「京都は千年の都」といわれます。
歴史の教科書に登場する出来事の多くが、ここ京都を舞台に繰り広がられ、今も日常の中で優れた古典の情景に出会い、それらを鮮やかに再体験できるのも、日本の歴史を記憶する街「京都」ならではの特権だといえます。
改めて、文化の都は東京に譲るわけにはいかないなあ、と思います。
東京が何事も「上」(ナンバーワン)をめざす処ならば、京都にはつねに「奥」(ほんまもん)を極めようという、異なるベクトルが働いています。
四季をとおして、国の内外から7千万を超えるお客様が「京都」を訪ねていただくのも、
このようなまぎれもない気風があるからではないでしょうか。
ただ、「京都」は決して遺産都市ではありません。
たえず伝承と革新を繰り返しながら、つねに時代の新たな文化を創り出す「ひと」の力を、自然と環境との共生という日常生活の不文律の中で育んできたのです。
昔も今も、外部のひとやものをおおらかに受入れ活かす自由闊達な風土。決して時流におもねることのない誇りをもちながらも、その豊かな吸引力が、伝統と革新のサイクルを生み出し、時代の先駆けとなる文化や学術、産業をしっかりと根付かせてきたのです。
ノーベル賞受賞者を多く輩出し、世界に羽ばたく京都企業の数々は、まさにその証だといえます。
そう、「京都」にとって「人」こそ財産なのです。
今も京都に水を導く琵琶湖疏水に、哲学の小径の関雪桜や加茂川堤の志波ん桜などに、
どんなに苦しい時でも京都の未来のために、目先にとらわれることなく、つねに長い目で考える行動することの大切さを、この街に生きた先人たちのたしかな足跡は、私たちへの静かな道標となって教えてくれているのです。
私は、現地・現場主義をモットーに府内各地に出かけていき、直接府民の皆さんと自由に語らう「知事と和ぃ和ぃミーティング」を平成14年から実施していて、もう80回以上やっています。
府南部の山城地域の和束町にも、この「和ぃ和ぃミーティング」で訪れました。季節は秋の深まる昨年11月。和束町は隣接する南山城村とともに、府内のお茶の二大産地で、「宇治茶の郷 和束の茶畑」は京都府景観資産第1号に選ばれています。
「和ぃ和ぃミーティング」が終わってから、地元の皆さんが茶畑に案内してくれました。さすが茶園面積府内一の和束町。緑深い茶の木がまるで段々畑のように、緩やかな山の斜面に沿って見渡す限り一面に連なっています。自然に深呼吸したくなるようなすがすがしさは、まさに日本の原風景という感じ。お茶は飲むとほっこりしますが、茶畑の景色を眺めても同じようにほっこりするんだ、と新しい発見です。
続いて地域の皆さんが運営する「和束茶カフェ」に案内してもらい、おいしいお茶と手作りケーキをいただきました。素朴な味と和やかな雰囲気にここでもまた、ほっこり。お茶って本当にいいですね。
宇治茶の栽培は、800年前に京都市北西部の栂尾(とがのお)高山寺の明恵上人の勧めで始まりました。以来、山城地域の先人達が自然条件や地理的メリットを活かしながら、技術を開発して栽培を広げ、今や全国に名だたる「宇治茶ブランド」として多くの皆さんに愛飲されています。総生産量では静岡県に及びませんが、てん茶や玉露などの高級茶の生産量は全国一です。
「茶道」は、京都から世界に発信する日本文化の心ともいえますが、宇治茶は、千利休の時代からこの「茶の湯」の文化を支え続けているのです。
5月の新茶の季節には、山城地域の各地で茶摘み体験などが行われますが、
秋から冬にもかけても、お茶まつりやお茶会などの楽しいイベントがあります。是非一度おいでいただき、日本人にとってなじみの深いお茶のことをもっと知って、味わい、楽しんで、宇治茶の魅力を満喫していただきたいですね。
京都市北区雲ヶ畑に源流を発する鴨川は、京都市の東を北から流れ下り、伏見区下鳥羽で桂川に合流します。
まちなかをゆったり流れる様は、私たちの心を癒してくれます。また、二条大橋から五条大橋に沿って料亭が設ける納涼床は、初夏から秋口にかけての京の風物詩となっています。
全国的にも有名な鴨川ですが、私のオススメはそこから少し上流の北山橋から北大路橋間の“なからぎの道”です。実は自宅から近いので、私の散歩コースになっていて、それこそぶらりと足を向ける場所なのです。
特にオススメは桜の季節。桜並木が連なり、満開時は空気まで桜色に染まりそうです。きらきらと輝く水面を見ながら桜並木を散歩すると、春の訪れに心が浮き立ちます。
思えば、鴨川はかつて氾濫を繰り返す暴れ川として知られていました。
平安時代末期に権勢をふるった白河法皇ですら、自らの意に沿わないものの筆頭に「賀茂の水」を挙げていたそうです。なからぎの道を散策しながら、先人たちの苦労に思いを馳せ、改めて安心・安全のための備えの大切さを心に刻みます。
なからぎの道の東側には府立植物園があります。大正13年(1924)に開園した大変歴史ある植物園で、四季の草花が咲く花壇や洋風庭園、日本最大級の観覧温室が整備されているほか、自然林の森や日本各地に自生する植物を自然に近い状態で植栽した植物生態園など自然的な景観も楽しめます。広々した芝生広場もあり、小さい子どもさんが駆け回っても安心です。
うららかな春の休日に、桜を愛でながらなからぎの道をぶらりと散策し、そのあと府立植物園で森林浴をしたり、芝生広場に寝転んで昼寝したり・・・やってみたいですね。