生い立ちと経歴
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生まれは母の実家淡路島。
小学校は兵庫県の伊丹で過ごしましたが、明るいけれどやんちゃな性格だったようです。中学、高校では兄の影響でフェンシング部に入り結局大学まで続けました。
運動部で、自分に対する限界まで頑張る気持ちと、先輩、後輩との交流を通じ、先輩を尊敬し、後輩に対しては気を配る体育会気質というものを身につけることができたことは大きな財産だと思います。
その後、自分の性格で大きな影響を与えたのはアメリカ生活でした。「他の国を見る」ということは、「自分の国を考えること」「愛すること」という精神を学びました。また、多くの人が持っているイメージとは違い、中西部のアメリカ人が絆を大切にし、昔の日本人のような人に対する温かさはアメリカの別の側面を見たような気がしました。
一昨年、ブラジルに行ったときに、まさに日系人の皆さんがいかに日本人ということを誇りを持ち、だからこそブラジルの中で立派なブラジル人たろうと努力されてきたことを伺い、改めて京都の良さをしっかり残し伝えていくことの大切さを思ったところです。
京都という「世界に誇れる日本」この地に関わらせていただくようになって、私が日本一の「京都ファン」だと自信を持っています。
だからこそ、「愛する京都を、もっと誇れる京都にしたい!」この言葉が私の口癖です。
街でみかけた時は、是非、お気軽に声をかけてください。
これからの京都府に期待してください。
昭和29年4月5日、兵庫県洲本市生まれ。
幼い頃から正義感が強く、世の中の役に立ちたいという思いが強く法律家を志す。
しかし東京大学法学部入学後、無料法律相談で多くの相談活動を続けるうち、個々の法律解釈よりも、その前提となる行政活動や法律の制定に係わる方がより多くの人々のために働けると思い、卒業後、昭和52年自治省(現総務省)に入省。
和歌山県地方課長、国際観光振興会サンフランシスコ観光宣伝事務所次長、高知県財政課長等で内外の地方自治を現場で体得するとともに、行政局行政課課長補佐、同理事官で地方分権の制度を担当。その後、法制局第一部参事官では政府の「憲法の番人」として、政府の憲法解釈の答弁づくりや法律解釈にあたり、平成11年京都府総務部長として京都府に赴任。
財政健全化策の実施に積極的に取り組み、施策の見直しと内部改革を断行し、健全化の道筋を確かにする。 京都府副知事を経て、惚れ込んだ京都のために働きたいと京都府知事選に出馬。現在3期目。全国知事会会長。
| モットー | 「人生に無駄になることなんか何もない」 ピンチでもプラス思考は忘れない。 |
|---|---|
| 座右の銘 | 「一期一会」 |
| 趣味 | 歴史散策、ドライブ、旅行、スポーツ観戦、ゴルフ、フェンシング |
| 職歴 | |
|---|---|
| 昭和52年3月 | 東京大学法学部卒業 |
| 昭和52年4月 | 自治省(現総務省)入省 |
| 昭和57年7月 | 国税庁天草税務署長 |
| 昭和58年7月 | 和歌山県総務部地方課長 |
| 昭和60年9月 | 国際観光振興会総務部職員 サンフランシスコ観光宣伝事務所次長 |
| 昭和63年9月 | 自治省行政局振興課課長補佐 |
| 平成元年4月 | 高知県総務部財政課長 |
| 平成 3年8月 | 自治省行政局行政課課長補佐 |
| 平成 4年1月 | 自治省行政局行政課理事官 |
| 平成 4年7月 | 内閣法制局参事官 |
| 平成 9年7月 | 国土庁土地局土地情報課長 |
| 平成11年7月 | 自治省大臣官房付兼大臣官房参事官 |
| 平成11年8月 | 京都府総務部長 |
| 平成13年6月 | 京都府副知事 |
| 平成14年4月 | 京都府知事(1期目) |
| 平成18年4月 | 京都府知事(2期目) |
| 平成22年4月 | 京都府知事(3期目) |